JR中央・総武緩行線が乗り入れている両国駅(墨田区)の「使われていない幻の3番線ホーム」の写真を掲載します。
また、「使われていない幻の3番線ホーム」が生まれた歴史や経緯も解説します。
※記事の最終更新日: 2023年11月16日
JR両国駅 使われていない幻の3番線ホーム
※撮影日: 2021年8月21日
※使用機材: HUAWEI NOVA 5T
X(旧ツイッター)上で見つけた写真
これが…両国駅の「幻の3番ホーム」 pic.twitter.com/rBeyqu33Qy
— 羽鳥写真館 (@hatolier_camera) 2021年6月18日
両国駅。開かずの扉が開いた今日。臨時3番ホームで待っていたのは、世界で唯一のサイクリスト専用トレイン「B.B.BASE」。 pic.twitter.com/5K4FgSk7pf
— マサテツ (@masatetsudo) 2021年10月30日
両国駅幻の3番ホーム
— 植田勝海 (@katumi_ueda) 2019年7月28日
JR両国駅は通常1、2番線のみ利用されているがお隣には普段利用されていない3番ホームがある。
こちらでは飲食イベントを行っており、電車を間近に見ながらホームで飲食出来る。鉄道ファンの方は次回イベントにご参加してみては。#不動産 #両国 #電車 pic.twitter.com/ab6jVxUtCH
JR両国駅の使われていない3番線ホームはなぜ生まれたか?
JR両国駅の3番線ホームは、両国駅が房総方面へのターミナル駅だった時代の名残りです。
1904年(明治37年)4月、両国駅は開業しました。この駅は、JR総武本線の前身である総武鉄道によって運営され、最初は「両国橋」という名前でした。
両国橋開業以前の総武鉄道は、本所(現在の錦糸町)を起点にして銚子とを結んでいました。また、佐倉で成田鉄道(現在のJR成田線)と接続し、本所から成田までの直通列車なども運行していました。
その中で、総武鉄道は都心方向への延伸を計画していましたが、現在の両国から浅草橋までのエリアでは隅田川が通り、計画を進めることができませんでした。そこで設置されたのが、両国橋駅です。旅客用のホームは2つ(後の3~6番線ホーム)設けられました。
両国橋駅は、房総方面への旅客だけでなく、隅田川の船舶などとリンクした貨物ターミナルとしても繁忙となりました。また、開業直後から1910年(明治43年)までは、東武鉄道亀戸線もこの駅に乗り入れていました。両国橋駅は、まさに一大ターミナルとなっていたのです。
その後、総武鉄道は1909年(明治42年)に国鉄総武本線として改編され、1931年(昭和6年)には両国橋駅が両国駅に改称されました。
隅田川にかかる隅田川橋梁は1932年(昭和7年)に完成し、総武本線は中央本線の御茶ノ水駅まで延伸され、翌年から総武本線と中央本線との直通運転が始まりました。この際、従来のホームだと御茶ノ水方面に駅舎があって延伸できなかったため、南側に現在の1,2番線ホームが高架構造で新設されました。
その後、時を経て1972年(昭和47年)に地下新線が開業しました。これにより、東京と房総を結ぶ列車の多くは、両国駅ではなく東京駅を発着するようになりました。
やがて、両国駅のターミナル駅としての存在感は薄れていき、1982年(昭和57年)には両国発着の急行列車が、1988年(昭和63年)には両国発着の特急列車がなくなりました。
毎日運転の旅客列車は1,2番線ホームに停車する中央線・総武線各駅停車だけになり、それ以外のホームや線路は大部分が撤去され、3番線ホームと一部の線路だけが残されました。
3番線ホームが残ったのは、新聞の夕刊を房総方面に運ぶ列車があったからです。当初、房総エリアの道路事情が厳しく、鉄道を活用することが効率的でした。
しかし、房総エリアの道路事情が改善され、特に館山道の全通(2007年)後は、新聞の輸送が鉄道からトラックに切り替わりました。その結果、2010年(平成22年)には新聞輸送列車が廃止され、3番線ホームからは定期運転の営業列車が姿を消しました。
その後、3番線ホームはほとんど使用されず、運用上の理由で回送列車が入線することもありますが、一部の臨時列車や団体列車(例: サイクルトレイン「B.B.BASE」)が時折利用している状況です。
関連動画
両国駅の幻のホームはなぜ生まれか
両国駅周辺の地図
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